[後鳥羽上皇の義時追討]

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 【その真相】後鳥羽上皇は、強い性格をもち、多能多芸であり、武芸のたしなみも深かった。上皇の院政は、内大臣土御門通親(つちみかどみちちか)が、建仁二年(一二〇二)に急死してから思うままの独裁になった。