しかもついに霜月(しもつき)騒動をひきおこし、得宗(とくそう)専制に発展した。この騒動は、安達泰盛と平頼綱を頂点とする勢力争いによってはじまった。泰盛は豪族として、外様(とざま)とよばれた一般の御家人を保護する立場をとり、頼綱は北条氏の家令を勤め、御内(みうち)とよばれた北条氏家臣の総帥で、外様をおさえ、北条氏の権力を強める立場である。守護職などを外様の手からとりあげ、北条氏一門に分配し、北条氏の本家(得宗)の、一門に対する統制力を強める。これが御内の政策である。それは元寇に対処するため国内体制を整備する必要にせまられた課題でもあった。