幕府の危機

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 元寇の問題があった十数年間は、幕府政治の危機であった。弘安四年六月、幕府は近畿・東国の御家人を動員することなしに、その分だけを御家人以外の、荘官(しょうかん)(荘園の管理人)とか武士を招集しようとして、朝廷の許可をもとめた。勝利の報告がついているのに、閏(うるう)七月九日付で勅許された。これは天皇の権威をかりても、この機会に幕府の体制を強化しようとの幕府のかたい方針のあらわれである。
 
 【悪党】日本はじまって以来の国難にあたり、近畿・東国の御家人を動員できなかったのは、複雑な幕府の政情と、近畿地方の悪党(あくとう)の活動のためであろう。近畿地方の荘園で、管理人の武士や農民が集団化して、荘園領主の支配に反抗し、守護・地頭・御家人とむすび、幕府の命令に従わないものもでた。幕府は、ようやくこれら悪党を政治問題として重視するようになった。