農民の日常生活を支配したのは、地頭や荘官(しょうかん)(管理人)をはじめ武士である。武士は高台とか、おもな交通路の走る平地などに屋敷をつくることが多かった。それは一町から数町におよぶ広大なものである。その外側に深い堀や生垣をめぐらしていた。その屋敷の周囲には、名主(みょうしゅ)や名子(なご)(作人)たちの住居がちらばってあり、中門を入ると、下人の粗末な家もあった。地頭や有力な名主の住宅は、畳をしきつめない板の間であったが、床を高くし、縁(えん)や部屋の仕切(しき)りの板戸(いたど)もあった。この本宅につづき郎等(ろうとう)や宿直の家人などの勤める遠侍(とおざむらい)がある。
【門田】夜は、主人の寝所に大幕(おおまく)を何重(なんじゅう)にもひきまわし、矢が射(い)こめないようにし、庭には郎等たちが徹夜で警戒する。広大な屋敷うちやその門前には門田(かどた)・門畠(かどはた)・土居(どい)・正作田(しょうさくでん)・手作地(てづくりち)・佃(つくだ)などという田畑がある。武士は屋敷うちに住む下人たちに耕作させる。館のうちに大きな倉庫があり、年貢米などを収めてある。
武士の居館 一遍上人絵伝 部分(京都 歓喜光寺蔵)