農民のくらし

394 ~ 395 / 706ページ
 下層の農民は、一間(ひとま)きりの土間に、むしろでもしいて暮していたらしい。下人(げにん)などは、掘立小屋(ほったてごや)のようなすまいだったろう。食物は、麦や雑穀を常食とし、苧(からむし)という麻の着物をつけた。
 
 【直垂 露頂】庶民には、直垂(ひたたれ)が常服であったが、巻袖のきもの、袖短な小袖で、寒いときには、袖なしの胴衣(どうぎ)などがもちいられた。漁師や船頭のあいだには、烏帽子(えぼし)を除いた露頂(ろちょう)の風俗がはじまる。女子は髪を元結(もとゆい)で高くあげ、さらに束(たば)ねておくのがふつうになり、小袖の着流しであった。
 
 【年貢 交分】農民が負担した義務のうち、米で納める年貢(ねんぐ)がある。中世につかわれた枡は荘園により、また使うばあいによって、いろいろ容積がちがう。このため一反(一〇アール)あたりの収穫高を正確に算出することも、年貢の率をしることもできない。しかし全収穫高の三割から五割は年貢であった。またいろいろの名目の付加米がある。その最大は「交分(きょうぶん)」である。

農家 一遍上人絵伝 部分(京都 歓喜光寺蔵)