木寺宮領

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 【入野】浜松荘の入野(当市入野町)に木寺宮(きでらのみや)の御領があった。木寺宮は、後二条天皇(一二八五-一三〇八)の皇子邦良(くになが)親王にはじまる。祖父後字多法皇から尊治親王(後醍醐天皇)のあと、御領などをうけつぐ指定をうけている。浜松荘入野のうちを与えられたのであろう。その子康仁親王は、北条氏におされて、光厳天皇の皇太子になったので、後醍醐天皇によって廃された。【竜雲寺】入野は地頭方・本所方・国方とわかれ、竜雲寺を木寺方とか木寺宮といった(『竜雲寺文書』)。
 
 【浜松荘の構成地区】浜松荘は、もとの浜松郷を中心とした荘園で、二十四郷とある(永禄十年九月十二日今川氏真判物写「普済寺文書」『浜松市史史料編二』所収)。つぎにその構成地区をみよう。(遠江国浜松荘宇間郷などのように浜松荘とあるのを確認したもの)。
 
地名年号出典備考
飯田荘嘉元3.9亀山法皇御領目録竹内文平氏所蔵文書に収めてある
(飯田町)(1305)(昭慶門院御領目録)
飯田荘戸和田郷円通松堂禅師語録
飯田荘菅島・弘安4年集古文書
西俣・加保村(1281)
飯田郷稲荷山大永5.閏11.23竜泉寺文書
(1525)(浜松市史史料編三)
引間郷飯田永禄6.閏12.16蠧簡集残篇
(飯田町)(1563)
宇間郷嘉元3.9亀山法皇御領目録西大寺田畠目録・寿量院文書にもある
(安間町か)(1305)(昭慶門院御領目録)
里郷同上同上中村文書・蠧簡集残篇にもある
朝田同上同上東漸寺文書にもある
(浅田町)
阿多古同上同上
(天竜市)
宇布美郷同上同上大日本金石史・息神社所蔵棟札にもある
(浜名郡雄踏町宇布見)
岡部郷同上同上賀茂別雷神社文書・岡部文書等にもある
(東伊場町)
寺島同上同上永禄12家康安堵状には寺島郷
(寺島町)
大窪郷同上大福寺文書阿多古郷のうち,大窪寺(鴨江寺文書所収増田長盛・長束正家連署状)や大窪十兵衛長安(岡部文書)もこの地に関係があろうか
(天竜市あたりか)
伊場郷慶長6.1.25岡部文書浜松荘とはないが同荘内のことは確実
(1601)(浜松市史史料編二)
鞍松郷文明5北野神社社領目録北野神社文書のうち
(倉松町)(1473)
因幡郷永禄12.2.19諸家感状録25古文書集にもある
(1569)
志戸呂同上同上
(志都呂町)
新橋同上同上大通院文書には新橋郷とある
(新橋町)
人見同上同上
(浜名郡雄踏町)
嶋郷応安3.10.25高橋文書今川文書・諸家感状録にもある
(曵馬町)(1370)(浜松市史史料編三)
宇間郷瓜打村天正3.11.25六所神社所蔵棟札
(瓜内町)(1575)(浜松市史史料編二)
入野天正8.5.28竜雲寺文書
(入野町)(1580)(浜松市史史料編三)
富塚郷天正10.8.吉日普済寺再興棟札
(富塚町)(浜松市史史料編二)
飯田荘内加保村建武3山内首藤文書地頭職『あづまの道の記』に見える山内刑部少輔はこの子孫であろう
(1336)
中沢天正18.12.26常楽寺文書
(中沢町)(1590)(浜松市史史料編二)
鴨江・山田・助信村慶長8.9.15竜禅寺文書山田は天正18.12.28竜禅寺文書にもある
(鴨江町・西伊場町・助信町)(1603)(同上)
池川・将監慶長15.12.16五社神社文書
(上池川町・下池川町・将監町)(1610)(同上)
海老塚村・下池川村・西塚村寛永11.7.2五社神社文書
(海老塚町・下池川町・西塚町)(1634)(同上)
山崎村寛文5.7.11寛文御朱印帳
(浜名郡雄踏町山崎)(1665)
沢村同上同上
(広沢町)
山田天正18.12.26寛文御朱印帳竜禅寺文書にもある
(西伊場町)(1590)
白羽村同上同上
(白羽町)
ひきま11.1朝比奈泰凞書状大沢文書
端和天文10.11.25今川義元安堵判物妙恩寺文書
(天竜川町)(1541)


浜松荘構成図