頭陀寺荘

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 頭陀寺荘(ずだじのしょう) 市内頭陀寺町にあたる。頭陀寺は、京都仁和(にんな)寺観音院末寺(『松尾神社文書』)であった。建仁三年(一二〇三)十月、紀伊(和歌山県)の国衙(地方庁)では、海上運輸にあたる船所の書生や梶取(かじとり)が、高野山金剛峯寺(和歌山県)領の荘園から納める年貢などに不法行為をすることを禁止した(『高野山文書』)。そのうちの遠江頭陀寺荘は、高野山金剛寿院領でもあった(『仁和寺文書』)。すなわち白羽港か掛塚港から運送したろう。頭陀寺荘は、河勾荘とか池田荘と隣接している。なお遠江守護安田義定は惣検校職をもち、仁和寺が頼朝に通告しても年貢を皆納しなかった。しかし義定の兵力を恐れ、これを改定することは実現しなかった(『仁和寺文書』)。