鋳物業

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 鋳物業は鋳物師が、鋳物に必要な土を採取する関係から平安すえに畿内の各地にまとまって居住していた。中でも河内(大阪府)の鋳物師(いもじ)は、平安(七九四-一一八〇)すえからのち各地の社寺に招かれ、梵鐘を鋳るなどの仕事をした。

鋳物師の作業場 歓喜天霊験記 部分(兵庫 武藤治太氏蔵)

 【一宮鋳物師】遠江周智郡の一宮郷は、鋳物業の中心地である。その付近の森町の山田七郎左衛門は、徳川家康から鋳物師惣大工職を与えられているが、これは一宮鋳物師の後身であろう。
 
 【頭陀寺鰐口】文永五年(一二六八)十月に敬意は頭陀寺町の頭陀寺に鰐口を寄進した。その銘文は「頭陀寺奉鋳金口一口大勧進僧敬意・文永五年辰戊十二月十五日寺家同心」とあり、『静岡県史料』には「此の文永五年の鰐口は撞座や銘に多少の議論もあるが、先ず本県に於ける最古のものとしておく」と註記してある。いま市の郷土博物館に保存され、市指定の文化財である。(次頁写真)

頭陀寺鰐口(浜松市立郷土博物館蔵)

 【鴨江寺洪鐘】正応(しょうおう)三年(一二九〇)十月、勧進僧永威は、本市鴨江寺に洪鐘一口を鋳造して寄進した。明治二十一年(一八八八)三月には、現存したと同寺住職の報告書がある(『鴨江寺文書』)。
 
 【長楽寺梵鐘】引佐郡気賀町の真言宗高野山派長楽寺には、嘉元三年(一三〇五)四月十日に鋳造した梵鐘があり、これは本県に残る最古の鐘として県指定文化財である(『細江のあゆみ』1号、『細江のあゆみ』資料編一)。大工は平正継と刻銘されているが、一宮郷の鋳物師であろうか。
 すこし時代は下るが、遠江関係の中世の鋳物師(いもじ)の製品で、年代の明らかなものが、二点現存している(四一七ページ参照)。
 
(表)
鋳師銘文摘要作品寄進先年号備考
西願大工赤佐住道阿遠州府中蓮光寺貞治3(1364)国司土岐直氏らの勧進。永正2年(1505)浜松庄引馬の普済寺に到来。いまは沼津市上香貫霊山寺
藤原藤左衛門大工一宮遠江鎌田御厨阿弥陀堂永享9(1437)もと浜松市東照宮