為替

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 交通が不便で、現金輸送はむずかしかったため、一枚の紙片で遠隔地に対する支払の手段が案出され、年貢などの運送と、商業の取引に利用されたのが為替(かわせ)である。銭でするのが替銭(かえせん)、米でするのが替米で、替銭(かわし)とか割符(さいふ わりふ)などとよばれていた。鎌倉時代の中期ころからはじまり、京都・鎌倉だけでなく、各地に流通するようになった。
 
 【村櫛荘の割符】貞治(じょうじ)三年(一三六四)四月、大炊寮(おおいりょう)領遠江国浅羽荘内岡郷では三貫文を、嘉慶二年(一三八八)京都の東寺領遠江村櫛荘(当市内)では「割符一」を替銭として、京都に送っている(『東寺百合文書』さ)。どれも年貢である。村櫛荘などには、鎌倉時代の末に発行された実例があってよいと思われる。