池田宿

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 当市内に所在した池田宿は、天竜川の渡船場として早くから栄えていた。嘉禎元年(一二三五)七月には、東海道に群盗が出没し、飛脚で往来人の駄馬を強奪したこともある。また大番役のため上洛する諸国の御家人は、東海道沿道の百姓に人夫や馬匹を徴発する不法を働いたこともある(『吾妻鏡』弘長三年六月廿三日条)。
 公用の武士をのぞき、訴訟のため鎌倉にいく武士や荘園の領主・商人、神社・仏閣に参詣する人などが旅人であろう。伝馬の利用ができたのは公用にかぎっていたので、私用の武士はみずから馬の用意をした。しかし一般の人は徒歩(かち)である。「はだし」も多いが、「わらじ」や「あしなか」(足の半分のわらじ)・わらぞうり・足駄などがつかわれた。道路もよくないし、強盗・追いはぎなども少なくなかった。