【熊野】池田宿の長者熊野(ゆや)の娘に侍従がある。侍従は、京都に呼ばれて平宗盛に愛された。寿永三年(一一八四)三月、平重衡が梶原景時に護衛されて鎌倉に下ったとき、侍従のところに宿泊した。侍従は、傷心の重衡に対して、
「旅のそらはにふのこやのいぶせさにふるさといかにこひしかるらん」
との一首を贈呈した。重衡は、
「故郷も恋しくもなしたびの空宮こもつゐのすみかならねば」
と返歌し、景時に対し、侍従のことを尋ねて涙にむせんだという(『平家物語』十海道下)。この侍従は『謡曲』の熊野には、宗盛の愛人として扱われている。源頼朝が招集した天下の手弱女(たおやめ)十二人のうち(『唐糸さうし』)の一人である。
熊野の墓と伝える宝篋印塔(磐田郡豊田村 行興寺)