遠江と浄土宗

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 【作善房 蓮華寺 西蓮 信寂】遠江国にもこれら新仏教は、ややおくれて伝わる。ただ浄土宗は、京都から直接伝わったのである。周智郡久努西村久能のあたりに住む作善房は、上京して法然から浄土宗の教化をうけた。遠江蓮華寺(周智郡森町)の禅勝房も上京して法然に教えをうけ、帰国ののち番匠大工となっていたが、安貞元年(一二二七)に流罪の途中の隆寛と遠江国府で面会し、そののちは浄土宗の布教につとめた。またいまの小笠郡菊川町横地の僧西蓮の勧めで、法然の弟子信寂が横地にきて浄土宗の弘通につとめた。
 東海道は京都・鎌倉をむすぶ最大の幹線であるから、明庵栄西をはじめとして、禅僧の往来が多かった。しかしそれは、旅僧として足跡をのこしたにすぎない。たとえば、文永八年(一二七一)三河西尾城主の吉良満氏は、亡父の遺命で実相寺(愛知県西尾市上町)を開き、無外爾然(むがいにねん)を招じたが、爾然は東福寺開山の円爾弁円(えんじべんえん)をすいせんした。その弁円は入寺の式をおえると、すぐに鎌倉への旅をつづけている。