新しい仏教をうみだした仏教界は、たんにそれだけでなく、いままでの旧仏教の刷新を積極的に進めた。たとえば、奈良興福寺の実範は、唐招提寺(とうしょうだいじ)や、東大寺の戒壇(かいだん)が荒れはてているのをみて、これを修理し、戒法を再興した。その弟子たちは、鎌倉時代のはじめころに、いずれも律宗の興隆に力をつくした。これら律僧の活動を中心にして、古い仏教はしだいに脱皮してきた。山城(京都府)笠置寺(かさぎでら)の貞慶(じょうけい)は、古い教義を新しい時代にあうようにするため、煩雑な修法(すほう)などよりも念仏をすることを認めた。貞慶と同じく源空に対し反撥した明恵(みょうえ)房高弁は、南都仏教に新しい生命力を与えた。