鎌倉時代の文学は、古代から中世への転換期の文学である。その特色は『宝物集』・『発心集』・『閑居友』・『撰集抄』・『沙石集』などの仏教説話集にある。それらは地方的、庶民的な人間生活を描きだしている。
【和歌】和歌では、後鳥羽上皇(一一八〇-一二三九)が歌人を指導し、完成のために努力をかたむけた『新古今和歌集』がある。『古今集』以下平安朝の和歌とちがい、みずみずしい象徴的な詩歌美の世界をつくっている。これは、古代貴族文芸の最後の光を放った作品集である。しかし和歌の家が、二条・京極・冷泉(れいぜい)の三家にわかれて争い、和歌の道を衰えさせた。
「たかしの浜の浜松」は、紀貫之(『拾遺和歌集』十九)からのち、歌の名所になったようである。冷泉為兼(一二五四-一三三二)も、
「高師山夕こえくれば浜松の入海かけて浪そいさよふ」
と詠じている(『夫木和歌抄』)。
宮廷歌人のほかに、三代将軍実朝は、藤原定家に学んだが、『万葉集』を手にしてから、視界の広い、力強い独自の歌境をひらいた。実朝の歌集『金槐集』には、吟唱に値する秀作が多い。
【遠州歌人 勝間田長清 夫木和歌抄】勝間田長清は、遠州榛原郡勝間田(榛原町)の豪族で、遠州歌人として名のきこえたもっとも古い人であろう。冷泉為相(れいぜいためすけ)につき学んだ。五位・遠江守で藤原を称した。その歌は『玉葉集』にみえるが、『夫木和歌抄』の編者として名高い。それは、伏見天皇(一二六五-一三一七)のころの撰集であろう。
文学的な紀行文に『十六夜日記』・『うたゝねの記』・『海道記』・『東関紀行』・『とはすかたり』・『信生法師集』・『無名の記』・『みやこぢのわかれ』などがある。いずれも当市内にあたる地区を通過した紀行をふくんでいる。
【物語文学】農村の人びとに物語を語りあるく琵琶法師は、身分の低い盲目の賎民たちであった。このような語(かた)りをもとにして『保元物語』・『平治物語』から『平家物語』が完成した。内乱でゆれ動き、保守と革新が争いながらもしだいに武士の世になってゆく、そのかげには仏教に救いをもとめる人びと、この現実を直視した『平家物語』は、中世文学としての最高峯をしめている。その『平家物語』も『源平盛衰記』にと発展すると冗長で、ことばが誇大になってしまう。
【隠者文学】鎌倉新仏教が創始されたように、社会の不安と生活の動揺に裏打ちされて、文学の世界も仏教説話とか、これを地盤とした『方丈記』・『徒然草』などの隠者文学に展開した。鴨長明の『方丈記』は、源平の争いから幕府開設という社会の動きに目をむけず、視点を消極的・否定的・観念的に固定させたところに限界がある。兼好の『徒然草』は、著者の人間観照(かんじょう)の精到さを示し、「人生の書」として古典的の価値をいまにもっている。
なお慈円(一一五五-一二二五)の『愚管抄』は、歴史評論の書物である。