鎌倉の武家が京都の貴族の学問を移植したのは当然である。北条氏の一門の金沢氏が経営した金沢文庫(かなざわぶんこ)は、和漢のおびただしい書籍を今日に伝えている(第三章第五節参照)。
北条重時(しげとき)は『源氏物語』をもち、金沢貞顕は『建春門院中納言日記(けんしゅんもんいんちゅうなごんにっき)』という宮廷の女房の文学的日記をみずから書き写し、その自筆本をいまに残している。
また関東の武人の手で書物の印刷がなされた。今日に伝わるのは仏典だけだが、武士はその社会的地位や財力を学問発展のうえに活用した。