【今様】畠山重忠をはじめ鎌倉武士には、今様(いまよう)という民謡をうたったものが多い。この今様を集めたのが、後白河法皇(一一二七-一一九二)の撰した『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』であり、『古今目録抄』の裏にも鎌倉時代初期のものが書かれてある。
【白拍子舞】今様は純粋な歌謡だが、これと関係の深いのが、白拍子舞(しらびょうしまい)である。白拍子の舞には歌がつく。
【曲舞】白拍子を当世風にしたのが、曲舞(くせまい)である。鎌倉の末期にはじまった。
【和讃】鎌倉時代に民衆的な新しい仏教がおこってくると、その教義をわかりやすくのべた和讃(わさん)が、開祖の手でつくられた。もっとも代表的なものとして、親鸞の『浄土・高僧和讃』・『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』とか『三帖(さんじょう)和讃』があげられる。また一遍には『別願讃』がある。
【宴曲】鎌倉時代におこった新しい歌謡に宴曲(えんきょく)がある。今様が短い小曲であったのに対し、かなり長大な歌曲となっている。
【平曲】『平家物語』は琵琶を伴奏とし、おもに盲目の身分の賤しい法師たちにより語り伝えられた。これが平曲(へいきょく)である。鎌倉時代になると『平家物語』だけでなく、『保元物語』・『平治物語』などを語る琵琶法師の存在が記録にみえてくる。鎌倉時代には武士・僧など、ひろい階層の人びとが平曲に耳をすませた。
【延年】寺院では大きな法会のあとなどに、遊宴の余興として舞楽(ぶがく)や白拍子など、あらゆる芸能を演出した。これが延年(えんねん)である。遊僧という舞専門の僧と稚児(ちご)が舞う。延年の演技種目は、多彩で変化にとんでいる。
【猿楽】平安時代に行なわれたこっけいな物まね中心の素朴(そぼく)な演劇の猿楽(さるがく)は、猿楽法師が社寺行事(ぎょうじ)の余興に庶民に対し演じた。その法師は、賤民の取り扱いをうけていた。猿楽は、鎌倉初期に、歌謡と舞踊とが加わり、中期にはそれらを総合し、囃子(はやし)方や地謡(じうたい)(合唱団)までそなえるようになった。このようにして猿楽の能が成立した。鎌倉時代の猿楽(さるがく)は、社寺とむすびつき、座(ざ)をつくった。奈良には奈良猿楽の座ができた。
【田楽】平安時代の末ころ、社寺の祭礼に行なわれた田楽法師(でんがくほうし)の芸能は、曲芸のほかに、歌舞も加わっていたが、これに猿楽の能をとりいれて歌劇である田楽の能が成立した。鎌倉時代には、猿楽より田楽のほうが盛んであった。