鎌倉時代の建築物は、いまでも二百二十余棟残っているが、山城・大和の両国で四六%をしめる。建長(けんちょう)六年(一二五四)を境界とした前期で、年代の確実なもの八十三棟のうち山城・大和以外は三七%だが、後期では七二%になる。これは、地方の武士の経済力の発展を具体的に示したものである。
また仏教建築は建築界の主流をしめていた。
【天竺様】宋の建築様式が奈良の東大寺の再建のときと、禅宗の伝来のときとに伝えられ、日本建築界は、ふたたび大陸建築の強い影響をうけた。新しい様式が大仏様(だいぶつよう)(天竺(てんじく)様)、いままでのを和様(わよう)とよぶ。
また平安時代に完成された寝殿造(しんでんづくり)は、この時代にも造られるが、しだいにふるわぬようになる。
【庭園】作庭家ができはじめた。この僧を石立僧(いしたてそう)といった。頼朝が建久三年(一一九二)に建てた鎌倉二階堂の永福寺の庭は静玄がつくった。