御家人窮乏

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 地方の御家人は、番役(ばんやく)で京都や鎌倉に滞在しているうちに、贅沢品をみたり、貨幣をつかう機会も多くなる。自給自足に近い生活をしていた御家人は、しぜんと生活程度を高めることになり、過差(かさ)とか、婆沙羅(ばさら)(はいから)と非難もされる。銭が不足した御家人は、高利貸から借りるようになった。
 
 【高利貸】高利貸の利率は、年に元金の十割がふつうである。しかし幕府のたびたびの禁令にもかかわらず、これ以上の高利をとる業者もいた。鎌倉に住む御家人石原高家は、質物として武具の腹巻(はらまき)をいれている。またある御家人は、鎌倉の小町にすむ借上(かしあげ)(高利貸)の女に銭を借りたが、病気のため返すことができず、自分の家の下人(げにん)さえも売らねばならなかった話が『山王霊験記(さんのうれいげんき)』にみえている。
 しかし御家人が祖先伝来の領地を、高利貸に渡さればならない事態になると、問題は深刻で、御家人の生活は、むずかしくなるばかりでなく、御家人の所領を基礎にしている幕府の財政・軍事の機構が、くずれさることになる。