ついに荘園領主は地頭に対し、毎年豊凶にかかわりなく、一定の年貢を納めさせる「地頭請(じとううけ)」を契約するようになった。そのかわり荘園の管理は地頭に一任され、請負年貢以外は、いくらでも地頭の収入になる。しかしこの処置で地頭の侵略がやむわけでないし、農民は、大きくなった地頭の力に苦しめられることになった。また請負年貢もなかなか完納されない。鎌倉時代のはじめから行なわれた地頭請は、中ごろにはかなりの数値になっている。しかも地頭は、荘園内の農民に対しても支配を強化し、勢力を拡大しようとした。かってに年貢をましたり、自分の田畑の耕作や、そのほかの用事に農民をつかい、農民の上田(じょうでん)と地頭の下田(げでん)を強制的に取り替えさせるなどの非法を働いた。また地頭は自分の直営地の経営に専念し、名主らの農業経営をさまたげる不法もした。