執権高時

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 この難局にあたって、幕府の最高責任者執権高時は、正和五年(一三一六)十四歳で就任した。政治の実権は内(うち)管領長崎高資がにぎり、高時の介入する余地はなかった。しかも高時は凡庸であり、遊興がすぎた。
 後醍醐天皇がたでは、天下の騒乱に備え、日野俊基らが山伏に身をやつして、諸国の状況をさぐっていた。