両統迭立 持明院統 大覚寺統

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 後嵯峨上皇がなくなると、院政をとるつぎの上皇が問題になった。後嵯峨上皇は幕府に遠慮して、遺言をされなかったからである。ついに幕府の裁決で両統迭立(りょうとうてつりつ)ということになる。つまり後嵯峨天皇のあと、後深草上皇のご子孫と、亀山上皇のご子孫が交代して天皇になるとの約束である。後深草上皇のあとは、後深草・伏見(一二六五-一三一七)の両上皇が持明院(じみょういん)(京都市上京区光照院にあたる)で院政をとったので持明院統(のちの北朝)とよび、亀山上皇のご子孫は後宇多法皇が大覚寺(だいかくじ)(京都市右京区)に住した関係から大覚寺統(のちの南朝)といっている。

後醍醐天皇像 部分(京都 大徳寺蔵)