元弘(げんこう)元年(一三三一)四月、密告で討幕の計画を知った幕府は、天皇の近臣を捕えた。天皇は比叡山の延暦寺(えんりゃくじ)(大津市)の僧兵や、諸国の武士を召集し、六波羅を攻めおとしてから比叡山にこもろうとした。六波羅は、先手(せんて)をうち、皇居を包囲しようとする。天皇は神器(しんき)(天皇の位のしるし)をいただき、八月二十四日奈良に逃れ、貴族の一人を天皇にしたてて、叡山に派遣した。【笠置おち】のち天皇は奈良をさり、笠置(かさぎ)山の山上にある笠置寺(京都府相楽郡笠置町)におちのびた。笠置山は標高二八九メートルほどの小山だが、木津川に臨んだ要害で、僧兵の数も少なくなかった。