承久の乱で幕府に苦しめられたものの子孫・皇室領にすむ武士・貴族や社寺の荘園に住む土豪たち・楠木氏らに対し、天皇は召集の命令をつたえた。
【楠木氏】河内金剛山(こんごうせん)(大阪府南河内郡千早赤阪村、標高一一二四メートル)の西のふもと赤坂に土着した楠木正成(ー一三三六)の一族は、さらに西方の和田(にぎた)の谷にいた和田(にぎた)氏とも同族としてむすんでいた。この楠木氏は鎌倉末ころ、商業活動をしていたろうとか、散所(さんじょ)(一種の賤民)の長者だったろうといわれるが、かなりの勢力をもち、活動をするようになっていた。