六波羅陥落

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 五月七日、高氏らは京都にせめこみ、六波羅はおちいった。探題(たんだい)は後伏見(ごふしみ)・花園両上皇・光厳(こうごん)天皇と皇太子をいただき脱出した。めざすところは鎌倉(鎌倉市)であった。しかし南朝の五辻宮(いつつじのみや)の軍にさえぎられ、近江番場宿(おうみばんばのしゅく)(滋賀県坂田郡山東町)米山(よねやま)のふもとで、四百三十余人は自害しはてた。その名は蓮華寺(れんげじ)の過去帳にとどめられ、墓も残っている。上皇・天皇は京都に向かった。