【高氏の奉行所】足利高氏は、その日に昇殿(しょうでん)(清涼殿(せいりょうでん)の殿上(でんじょう)の間(ま)にあがる特権)をゆるされ、鎮守府将軍に任ぜられた。高氏は天皇の密勅をうけて各地の豪族に挙兵をめいじている。高氏は護良親王軍と連合して六波羅を攻略すると、ここに陣をかまえ、奉行所を置いた。そして旧六波羅の職員や御家人とか地方から上京する武士を吸収し護良親王軍を圧倒し追い出した。奉行所宛の地方武士の報告書などは、天皇の親政がはじまってもつづいている。鎌倉攻めも千寿王が参加したので、味方したという武士が多い。家柄といい、戦略といい、高氏は武士のあこがれのまとである。
足利尊氏像(京都 守屋氏蔵)