恩賞と武士

463 ~ 463 / 706ページ
 【足利尊氏】これらの処分がすんでから、元弘三年八月(一三三三)恩賞方(おんしょうかた)をおく。また同じ八月五日に新しい官職を任命し、足利高氏を武家の軍功第一とし、天皇の御名「尊治(たかはる)」の一字を与え、尊氏と改めさせ、武蔵守にした。尊氏は武蔵のほか相模(神奈川県)・伊豆(静岡県)も知行国(ちぎょうこく)(第二章参照)としてもらった。つぎに新田義貞らの武士と貴族に恩賞を与えた。
 天皇は同じ年の五月、六波羅攻撃に向かう高氏の軍に対し、「だれでも戦いに忠義をつくせば、本領は保証する。しかし鎌倉幕府の給与した土地などは、そのまま承認されない。軍功によって認める」との軍令をだしている。決戦を前にしての臨機の処置であったが、予期しない大きな結果をひきおこした。