武士の不満

464 ~ 464 / 706ページ
 ところがこの朝廷の命令書には、ただし天皇の臨時の決裁があればこの限りではない、との一条が付加されてある。これでは武士たちの不安と要求は、すこしも解決されない。七月になっても京都へ京都へと諸国から武士たちが集まってきた。【八木秀清】遠江国御家人八木秀清は、七月十八日京都に到着して、足利高氏に対し、その旨の書状を(着到(ちゃくとう)状)差し出し、高氏の証判(しょうはん)をもらった。七月には陸奥(青森県)・薩摩(鹿児島県)の遠方からも上京している。しかし十月になっても上京者は絶えない。しかもみな尊氏の証判をもらっている。
 
 【三島宿】この年の八月九日足利尊氏は、伊豆三島宿(三島市)に対し、街道や宿(しゅく)で乱妨するのを禁止している。尊氏は知行国として伊豆国をもっているから尊氏の職権行使である。
 多くの武士が天皇を支持したのは、北条氏の独裁政治の現状を打破したかったからである。ところが新政府になって所領を没収されかねないとあっては、不平がでてくるのも当然であろう。