親政の機関

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 【記録所 雑訴決断所 武者所 窪所】元弘三年(一三三三)十月以前に記録所(きろくしょ)・雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)・武者所(むしゃどころ)・窪所(くぼしょ)などがつくられた。記録所は、親政のための事務局で、楠木正成らの武士も加わっている。
 雑訴決断所は、鎌倉幕府の引付(ひきつけ)のように、領地の紛争を処理する機関である。このころ名を知られたほどの貴族・武家は、ほとんどみな、これに名をつらねている。この決断所の管轄範囲から関東十か国が除外されている。鎌倉幕府が、じかに支配していた地域は、新設の上野(こうずけ)親王庁(『武家年代記』)にまかせられた。京都警備の機関は武者所、窪所は侍所のことかもしれない。
 これら中央の機関は、軍事機構で不統一がめだち、財政機構が全然ないし、記録所・雑訴決断所では、それぞれの利害代表の寄りあい世帯というかたちで、円満な運営は望まれなかった。