【国司復活】しかも重要なことは、地方制度である。新政府としては、鎌倉幕府が朝廷から地方支配の力を奪うためにおいた守護制度をまず廃止して、貴族による強力な国司制度を復活して、地方をしっかりにぎるべきである。天皇は貴族を国司に任命して、国司制度を刷新しようと努力した。貴族の国司が、守護の指揮命令の下にあった国内の地頭・御家人も支配できることになった。しかし薩摩・大隅(鹿児島県)の守護島津、豊後(大分県)の大友、信濃(長野県)の小笠原など多くの守護は、鎌倉時代のままである。天皇に味方したのだから免職にすることはできない。天皇は元弘三年二月三日、薩摩守護島津貞久に、日向(宮崎県)守護をかねさせた。閏二月に隠岐を脱出されたのだから島津氏のぬけめのない態度がみられよう。しかも武蔵国の国守(くにのかみ)は足利尊氏で、守護をかねるというわけで、守護を動かすことなど思いもよらない。
【遠江のばあい】遠江国は関東分国で、鎌倉時代の末に、大仏氏が国守で守護をかねていた。建武新政になって、今川範国入道心省は、駿河の国務と守護職をかねていた。遠江国のばあいも同じである(『今川家古文章』『古証文』)。