尊氏の入京

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 九州地方は、蒙古襲来このかた、重い負担を長期にわたりたえてきた。ここの武士たちは、尊氏に対し特別な期待をかけていたのだろう。二月二十九日九州についた尊氏は、四月三日少弐(しょうに)・大友らを従え、九州を出発した。五月二十五日尊氏・直義の軍は、湊川(神戸市)で義貞と楠木正成の連合軍を撃破する。【正成戦死】正成は壮烈な戦死をとげてしまう。天皇は延暦寺をたより東坂本に避難される。尊氏は光厳上皇の弟豊仁親王をたて(光明天皇)、後醍醐天皇の皇子成良親王を東宮とした。三か月のあいだ両軍の戦いがつづく。
 
 【蒲惣検校源清保】遠江蒲御厨(かばのみくりや)の惣検校(そうけんぎょう)源清保は、京都の戦いに参加した。今川入道心省は、このことを認証した。摂津多田院御家人高橋茂宗も、心省に属して宇治(宇治市)に向かっている(『多田院文書』)。

源 清保着到状(浜松市 蒲神明宮蔵)