十月に尊氏は義貞一族を滅ぼすのが目的であると天皇に申しあげ、帰京を願った。天皇は義貞に対し、「皇太子恒良(つねなが)親王に譲位するからともに北国へゆき、親王を君とあがめよ」とさとし、北国にも拠点をつくろうとした。そのほか懐良(かねなが)親王は征西将軍として九州に、五辻宮(いつつじのみや)を日向(ひうが)(宮崎県)に、尊澄法(そんちょうほう)親王(のちの宗良親王)は北畠親房らとともに伊勢(三重県)に下向した。
十月九日譲位があって(『太平記』だけでなく、ほかに明証がある)、十日に後醍醐天皇は西のかた京都に、新天皇は(恒良親王)北のかた越前(えちぜん)(福井県)にと永遠の別れを告げ、坂本をあとにした。
尊氏は、後醍醐天皇をとじこめ、光明(こうみょう)天皇に神器をわたすように要求した。ついに天皇は偽の神器をわたされる。天皇が東宮恒良親王に授けたのも偽器であろう。