目次
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中世編
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第三章 南北朝時代
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第三節 南朝と北朝
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足利尊氏の反乱
吉野へ移られる 吉野朝廷
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十二月二十一日後醍醐天皇は、ひそかに京都から吉野(奈良県吉野町)に移り行宮(あんぐう)(かりの皇居)をたて、延元(えんげん)の年号をもちいた。吉野は天然の要害で、防衛の拠点としてめぐまれた条件をそなえている。しかもここから伊勢大湊(伊勢市内)や和泉堺(堺市)にいたる連絡線は確保されていた。だが進んで敵を攻撃する基地ではない。ここに吉野朝廷がはじまる。光明天皇は、京都にあって建武の年号をつかう。【南北朝】南北朝の名称は、そのころにもつかわれていた。