遠江の南朝方

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 【井伊氏 篠原 引馬 天竜川】遠江国では、後醍醐天皇に味方する有力な在地領主がいた。井伊氏の井伊城を中心とし、浜松荘・気賀荘など縁故のある荘園や、都田御厨がその拠点になる。建武三年(一三三六)四月、新田左馬助義氏は、井伊氏と連絡して三河に入り、吉良貞経・仁木義高らと戦い、遠江篠原(当市篠原町)・引馬・天竜川・袋井縄手(袋井市)で合戦している(『集古文書』)。鎌倉と京都との連絡路を遮断する作戦である。天竜川畔で、仁木義高は戦死した。伊豆国(いずのくに)(静岡県)の田代基綱も遠江守護代由比大次郎の手に属して出陣し、袋井縄手で激戦をまじえている。建武四年十二月、足利尊氏は、服織(はとり)荘の貴平郷(当市貴平町)を国府八幡宮に寄進し「天下太平」を祈った。それは今川氏親の判物(はんもつ)によると、ここの地頭職である(『秋鹿文書』)。

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