【井伊道政 井伊高顕 奥山朝藤】陸奥国から北畠顕家が上洛する作戦に呼応し、宗良親王は伊勢をでて、八月に遠江井伊城に入った(『太平記』十九『李花集』『新葉和歌集』)。城主井伊介道政・高顕父子は、心をかたむけて仕えた。道政は、はじめ親王を奥山(引佐郡引佐町奥山)の同族奥山六郎次郎朝藤の館に迎えたようである(高橋佑吉編『浜名史論』)。井伊氏は藤原姓。遠江の名族である。井伊介というから在庁官人を勤めたであろう(『遠江国風土記伝』)。引佐郡細江町気賀を中心とした井伊をふくむ気賀荘(けがのしょう)は、はじめ七条女院領で、後醍醐天皇に伝えられる。井伊氏はその代官でもあったろう。