【橋本】延元三年正月、後醍醐天皇の期待をにない、東海道を上京してくる義良親王(後村上天皇)・北畠顕家に宗良親王も橋本(浜名郡新居町橋本)付近から参加し、各地に転戦する。出発からの宗良親王の動静を伝える和歌は『李花集』や『新葉和歌集』に収められてある。
「延元四(三)年春比にや顕家卿なといさなひて、あつまよりはる/\とのほりて、今は都へといそき侍しに、奈良・天王寺のいくさやふれにしかは、思ひのほかに吉野行宮に参りて月日を送しに、やよひの比為定(二條)卿の許より風の便に、
帰るさをはやいそがなん名にしおふ山の桜は心とむとも(前行とも便宜改行)
と申しおこせたりし返事に、
ふる郷は恋しくとてもみよしのの花の盛をいかゝみすてむ」
つぎの和歌(『李花集』)も延元三年の春に比定できよう。
「しはしすみ侍し所に桜を栽て程なくたちいて侍しかは、その木にかきて結つけ侍し、
ゆく末に誰かうへしと人とはゝその名はかりや花にのこらん」