宗良親王上陸地(浜松市白羽町)
『李花集』には、戦塵のあいだを忙しく駆けめぐった親王の和歌がみられる。
【吉野行宮 井伊城 天竜の灘 白羽の湊】「延元四(三)年の春にや遠江よりはる/\のほりて都へと心さし侍しも、御かたのいくさやぶれにしかは、吉野行宮にまいりてしはらく侍しかとも猶東のかたにさたすへき事ありてまかり下るへきよし仰せられしかは、その秋の比かへりて井伊城にてよみける、
なれにけり二たひきても旅衣おなしあつまの嶺の嵐に
延元四(三)年の秋の比にや、伊勢より船にのりて遠江へ心さし侍しに、天竜のなたとかやにて、浪風なへてならすあらく成て、二三日まておきにたゝよひ侍しに、友なる船ともみなこゝかしこにてしつみ侍しに、からうしてしろわの湊といふ所へ浪にうちあけられて、われにもあらす船さしよせ侍しに、夜もすから波にしほれて、いとたへかたかりしかは、
いかてほす物ともしらすとまやかたかたしく袖のよるの浦浪」