親王白羽港に上陸

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 そして九月に義良親王・宗良親王・親房らは、伊勢(三重県)から東国に向かうが、天竜灘で遭難した。義良親王の船は伊勢湾の篠島に漂着、宗良親王は遠江白羽港につき、井伊城に入った。(『元弘日記裏書』宗良親王の遠江に上陸した地点については『静岡県郷土研究』第十六輯に伊藤源作氏の研究がある)。

宗良親王上陸地(浜松市白羽町)

 『李花集』には、戦塵のあいだを忙しく駆けめぐった親王の和歌がみられる。
 
 【吉野行宮 井伊城 天竜の灘 白羽の湊】「延元四(三)年の春にや遠江よりはる/\のほりて都へと心さし侍しも、御かたのいくさやぶれにしかは、吉野行宮にまいりてしはらく侍しかとも猶東のかたにさたすへき事ありてまかり下るへきよし仰せられしかは、その秋の比かへりて井伊城にてよみける、
   なれにけり二たひきても旅衣おなしあつまの嶺の嵐に
  延元四(三)年の秋の比にや、伊勢より船にのりて遠江へ心さし侍しに、天竜のなたとかやにて、浪風なへてならすあらく成て、二三日まておきにたゝよひ侍しに、友なる船ともみなこゝかしこにてしつみ侍しに、からうしてしろわの湊といふ所へ浪にうちあけられて、われにもあらす船さしよせ侍しに、夜もすから波にしほれて、いとたへかたかりしかは、
   いかてほす物ともしらすとまやかたかたしく袖のよるの浦浪」