宗良親王を迎え南朝軍は防備をかためていた。【千頭峯城 鴨江城 大平城 三嶽城】すなわちいまの浜名郡三ケ日町摩訶耶区の北東、城山の地に千頭峯(せんどうがみね)城、その南方の鴨江城(当市内鴨江町。大正十五年の『浜松市史』に、その遺址は「今の真言院、西小学校及び墓地、円満院の址等の高地にして、明治の初年まで、今の飯田・内山両家の裏手一帯には土塁の跡ありき」とある)、東方の大平(おいだいら)城(浜北市大平)と井伊の本拠三嶽(みたけ)城(引佐郡引佐町三岳)が、南朝軍の城郭として構築された。いずれも西方と南方からする三河・遠江方面の敵にそなえ、井伊氏の本拠、井伊谷・奥山に連絡がとりやすいように配置されてある(高橋佑吉編『浜名史論』)。
井伊谷方面からみた三獄城跡