遠江南朝方勢を失う

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 遠江の南北両軍の戦いは、四年間もつづいたが、大平城の失陥で、井伊氏は再起の力を失い、南朝がわの組織的な抵抗は終わった。
 宗良親王は、三河(愛知県)の足助(あすけ)重春の招きを謝絶し、越後(新潟県)に移った。『李花集』には親王の心境をのべた和歌がある。
 
 「遠江国に侍し頃、三河国より足助重春しきりにさそひ侍しを猶おもひさためぬよし申つかはして、
  一すちに思ひさためぬ八橋のくもてに身をもなけく比かな」