義満の大守護弾圧策

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 義満は諸国を視察して、幕府の権威をたもつためには、幕府の勢力をしのぐような大守護をつくらないことがまず必要だと直感した。そして足利一族でない大守護に対し、弾圧政策をとるようになり、土岐(とき)・山名・大内らは、つぎつぎに粛正された。
 
 【遠江守護今川仲秋】明徳二年十二月に十一か国の守護職をもった山名氏清を討伐したときには、遠江守護今川仲秋は、将軍の馬廻の軍奉行として出陣している(『明徳記』)。
 その翌年、義満は北朝がわの不満をおさえ、南朝の面目を重んずる形の四か条の合体の条件を提案した。