両朝合体

495 ~ 495 / 706ページ
 後亀山天皇(ー一四二四)は、国民のために両朝合体(りょうちょうがったい)に同意されたという。南朝がわでは、どうにもならない状態にあったのである。後亀山天皇は明徳三年(一三九二)京都に帰り、神器は後小松天皇に譲られる。しかし合体の条件も守られず、旧南朝派の不満は残り、残党は応仁の乱(一四六七-一四七七)ころまで、機会があれば挙兵している。