守護大名の領国体制

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(一)国衙(地方庁)の機構を利用して領国をおさえようとする。(二)直轄領(料所・蔵入分)を創出することに努力する。【尾奈郷】貞和五年(一三四九)十二月、遠江守護今川心省は、同国尾奈郷を料所とし松井助宗を代官に任命した(『蠧簡集残篇』)。(三)幕府の命令で段銭・棟別銭などを徴収するため使者を荘園・公領(国衙領)にふみこませ、自然と乱妨もし土地を横領した。【守護請所】(四)年貢徴収を請け負い、守護請所(うけしょ)を増加してゆく。年貢のとれない荘園領主は、とびつくが、完納をする守護はすくない。(五)分国内に守護夫・守護段銭などをかけた。(六)国内のすべての人を軍隊に徴用し、また荘官(しょうかん)(荘園の管理人)や国人(こくにん)という有力な土豪たちを自分の家臣にしようとつとめる。(七)交通の要地・商業の中心地をおさえて、関税・市場税などを徴収し、また交通労働者や商人を味方につけようとした。【浜名御厨】遠江守護斯波氏は、寛正三年(一四六二)ころ、伊勢大神宮領遠江浜名御厨を半済にし、しかも臨時の負担をかけている(『引付記録』四)。(八)分国内で信仰のあつい神社や仏寺を統制する。
 
 【守護の経済】守護は封建領主だから米穀経済のうえにたつ。しかしもはやそれだけでは生活できない。段銭・棟別銭・商業税など貨幣の税収をもとめねばならなかった。