一新する守護の顔ぶれ

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 【今川氏】南北朝中期ころの貞治元年(一三六二)になると、守護の顔ぶれは一新した。二か国以上の守護をかねるものは、ほとんど足利氏の一族である。遠江・駿河(静岡県)の今川氏などもその例である。足利氏以外の有力者では、山名・赤松などにすぎない。近畿地方とその周辺は、ほとんどみな足利氏の一族でかためられている・北条氏がとった政策を足利氏も採用したのである。北条氏は一族と直属の家臣を登用したが、足利氏は一族を重くもちいた。
 守護のうちには、近畿・北陸・中部・東海・中国などのいわゆる社会的・経済的にすすんだ地方の守護で、足利一門や腹心の武士がある。彼らは幕府の権力の基盤であったが、また守護の権威を利用して大きくなったので、典型的な守護大名だといえる。これに対し、東北・関東・九州など、おくれた地方の守護は、先祖このかた長い年月のうちにきずきあげた力と、そのあいだにできた地方武士との強い主従関係によって、勢力をのばしてきた。九州の島津・大友、奥州の伊達・最上・南部などその代表的な一例である。