【徳治思想】建武の新政は、武士の惣領をとりかえたり、武士の所領を没収して自由に処分するなど国家権力を一方的に浸透させた。それが被支配者の強い抵抗にあい、新政はもろくも瓦解しさった。のち六十年の動乱がはじまる。そして農民ー国人ー守護ー将軍という経路で被支配者の政治意思は上部に達し、逆に支配権力者の政治意思が下部に浸透した。この現象を理論づけるため、かつては貴族たちの唱えていた徳治思想が、武士のものとして使用されてくる。大きな歴史の進みである。このことが可能になるために無数の名もない人々の血が流された。動乱六十年の意味はここにある。