国人と一揆

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 関東十か国は、鎌倉府の支配下にあった。関東の豪族は、鎌倉時代以来、惣領制で団結している。しかし鎌倉末期になり、庶子がしだいに独立して、周囲の似たような武士たちと、集団制をつくりだした。これらの武士を国人(こくにん)といい、この体制を一揆(いっき)とよんだ。南北朝に活躍した東国の国人は、ほとんどこの一揆という形で団結しており、武蔵の白旗(しらはた)一揆・八文字一揆・南一揆などとくに有名である。鎌倉府ではこの一揆たちを味方につけて、大豪族たちと対抗する政策をとった。