【今川範国】南北朝時代の遠江守護のはじめは、建武新政からひきつづき今川五郎範国(入道して心省)である。そして国守をかねた。その活動は、元弘三年(一三三三)九月九日からはじまる(『鴨江寺文書』『古証文』)。
【仁木義長】心省は、暦応元年(一三三八)正月に北畠顕家の西上を遠江守護としてむかえうち、恩賞として駿河守護などをもらっている。しかし同二年十月に、仁木義長が遠江守護になった(『相州文書』鎌倉郡浄智寺)。
【千葉貞胤】義長は、宗良親王を主軸とした南朝軍の鎮圧につとめる。康永二年(一三四三)八月には恐らく千葉貞胤が遠江守護であろう(『東寺百合文書』せ一-二十三『東寺文書』射十三-十八)。
観応二年(一三五一)十一月には、仁木義長が守護になっている(『野田文書』以上については佐藤進一氏の教示をえた。なお『室町幕府守護制度の研究』上)。