今川心省 今川貞世父の代官として山陰に出陣

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 その年の八月には父心省が守護となった(『富田仙助氏所蔵文書』)。心省は範氏よりも貞世を愛していたから、範氏に護るのが本意でなかったのであろう(『難太平記』)。貞治元年(一三六二)に、山陰地方に蜂起した直冬党の山名時氏軍を討伐するため、幕府は「遠江守護今川伊予守」を若狭(福井県)・参河の守護とともに丹波(京都府)に派遣した(『太平記』三十八)。佐藤進一氏は「貞世は父の代官として遠江軍を指揮したのだろう」とする。心省の在職徴証は、貞治四年(一三六五)二月中断する。