今川了俊

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 心省が至徳元年(一三八四)五月死亡すると、九州探題在任中の了俊が遠江守護になる。その八月三日幕府は、遠江国都田御厨の半分を洞院大納言家雑掌に渡付するよう、今川伊予入道了俊に指示している(『吉田文書』五)。さらに嘉慶二年(一三八八)二月二十三日(尊経閣文庫所蔵『天野文書』)に了俊は在職している。