蒲御厨

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 【端和 新開】蒲御厨 応永二十九年(一四二二)閏十月の端和町屋銭催促状(『東大寺文書』)などによると、蒲御厨には、新開(いまは当市新貝町)がある。鎌倉時代中期ごろからのちに開墾されたところであろう。【地頭職】蒲御厨の地頭職は、建武の新政にあたり、得宗(北条氏家督)領として没収され、岩松経家に給与された(『集古文書』一)。【東大寺領】南北朝時代になると、高師泰に与えられ、高一族の滅亡後は、幕府料所となり、明徳二年(一三九一)将軍義満から奈良の東大寺に塔婆(とうば)料所として寄進された。
 永和四年(一三七八)三月、遠江守護今川了俊は、守護代長瀬尾張権守に対し、蒲御厨神明社の造営をさせている(『蒲神明宮文書』)。