時宗

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 【今川仲秋】武士が戦死のさい、従軍した時宗の僧から、念仏をとなえてもらったというような例が、『太平記』に書いてある。時宗は武士のあいだにもひろく信仰されていた。応永六年(一三九九)遠江守護今川仲秋は、遠江大池郷北方の地頭職(すでに一定の土地である)を道場の造営料として、京都四条の金蓮(こんれん)寺に寄進している(『金蓮寺文書』)。
 時宗の僧は、連歌や立花などの芸能にも活躍した。時宗では阿弥号をつけることが多い。それは世を捨てた隠世の精神をあらわしている。室町時代以後の芸能人に阿弥号を称する人が多い。すべてが時宗の信徒だというのでなく、賤民出身者もあるが、時宗の隠遁・洒脱の精神が、芸能にむすびついたのだろう。