真宗

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 時宗とともに、一向宗とよばれていた真宗は、東国の各地に小教団をつくっていた。京都では親鸞の娘の覚信の子孫が、墓所と御影堂(みえいどう)を管理していた。親鸞のひまごにあたる覚如は、建武四年(一三三七)に『改邪抄』をあらわした。そのほか多くの教養書などで、親鸞門流は時宗の宗義をうけてはならないことを強調し、親鸞を宗祖にまつりあげることにつとめた。この方針は門徒たちに拒否された。のちに蓮如によってうけつがれることになる。